炬口の暮らし

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interview

現在、炬口にお住まいの方や、炬口の伝統や文化、生活に関わる活動をされている方にインタビューし、
その暮らしの様子についてお話をうかがいました。
炬口に関わる様々な人の視点から見たリアルな炬口の姿をご覧ください。

01 SADAMOTO YOSIHIRO 定本義弘さん 歴史を通して見える炬口の魅力
02 HAMAGUCHI KAZUMI 濱口和美さん 神社のできごとから見えること
01 SADAMOTO YOSIHIRO 定本義弘さん

歴史を通して見える炬口の魅力

炬口にほど近い安乎(あいが)町にお住まいの定本さん。
公務員としてお勤めしながら、
プライベートでは洲本城友の会、淡路地方史研究会、
城郭談話会、神戸史学会などで
地方史に関わる研究活動をされています。
淡路島内各地の歴史を見聞されてきた定本さんに
炬口の魅力を語っていただきました。

定本義弘さん

炬口など、淡路島の歴史に関わられるようになったきっかけは?

私は、淡路島の歴史のなかでも城郭や要塞、砲台などを主な研究のテーマにしていますが、これらをピンポイントではなく、時代の古いものから新しいものにどのようにつながって行くのかという観点で見るようにしています。そういった観点から、太平洋戦争期にコンクリートで作られた海面砲台、明治期の由良や福良鳴門地区の要塞、幕末に作られた岩屋松帆や由良高崎の台場、総石垣の洲本城、土塁で作られた炬口城などの中世城郭、という流れのなかで炬口城や炬口地区の歴史に興味を持ちました。

歴史を通して見える炬口の魅力や特徴とは?

炬口八幡神社の由緒、歴史の古さも魅力と言えます。炬口八幡神社は、平安時代に京都の石清水八幡宮の御霊(みたま)を分祀して建てられました。それ以降、炬口は石清水八幡宮の荘園として発展しています。それを物語っているのは炬口八幡神社の春祭りです。春祭りの時は炬口だけではなく、旧荘園地であった広範囲にわたる近隣地区からの参加があり、だんじりがいっぱい集まります。だんじりが出るお祭りは淡路島内の他にもありますが、私はここのお祭りやだんじりが好きです。
また、戦国時代には炬口には城があって水軍の拠点であったことや、その次の江戸時代には藩から加子(水夫)としての権利をもらっていたことなど、炬口には古代に海上輸送などで活躍した海人(あま)にまでつながる海の民の歴史があります。
そして荘園地としての由緒や海の民の歴史など、炬口ほどしっかり文献でこれらの歴史が追えるところは少ないと思います。これは大事にしたいところです。
歴史を紐解くと、炬口がただの漁師町ではなく、古代から主要な港であり、それを要する港町であったことが見えてきます。

現在の炬口について思うことは?

炬口は洲本の市街地から橋を渡ってすぐのところにある、こんじんまりした静かな集落です。その市街地とのギャップが良いと思います。狭い路地が縦横無尽に入り組んだ様子はまさに港町ならではです。一方で昭和の風情も残っています。かつて、現在のマリーナの辺りは大阪と洲本を結ぶフェリーの乗り場があり、たくさんの物や人が行き交っていました。今でも集落内に昭和の元気だった頃の残影を感じます。
今後、これらの景観や風情を残せたらと思っています。歴史をベースに、歴史とそういうものを結びつけて、人や物のつながりを生かして取り組んで行きたいと思っています。

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定本万博 FB
濱口和美さん
02 HAMAGUCHI KAZUMI 濱口和美さん

神社の出来事から見える炬口のこと

本市内の他の地区から炬口八幡神社に
嫁いで来られた濱口和美さん。
病院の調理師として、また神職として神事に勤しむ傍ら、
炬口八幡神社を広く知ってもらうことや
地区の賑わいづくりのための活動をされています。
濱口さんは「結局私は八幡さんを通じての
炬口しか分からないのかも知れませんね。」と
前置きされながら、神社のできごとを通して見える
炬口について語ってくださいました。

炬口八幡神社のことに関わられるようになったきっかけは?

普段は病院で職員さんのお食事を担当しています。休日は家業ということもあり神社のお手伝いをさせていただいています。神職として神事をおこなっています。神社の資格を取ることを決めたのは総代さんが後押しをしてくれたからです。神社の仕事が嫌で無ければ資格を取ってみたらどうかと提案されました。今は、宮司である義父が今年米寿を迎えるにあたり、以前より積極的に神社に関わるようになってきました。
私が神社に関わっていたいのは、自分自身の存在価値を自分自身が納得したいからなのかも知れません。神社に嫁いだからにはこの火を絶やしてはいけない的なそういう気持ちもあったのかも知れませんね。
春祭りにお手伝いに来て下さったおばさんや地域の方々の話では、お店が参道の両脇を埋め尽くして店を出す場所が無くて帰ってしまうお店もあったとか…。子どもの頃の思い出は大人になっても大切な思い出として残るものだから、もっと大切にしないといけないなとも思ったのかな。ちょうどレトロなまち歩きや、カフェ屋さん主催のマルシェ的なイベントが行われていた時期で、私もやってみたいなぁと思ったのがお店を出すきっかけにもなったんだと思います。”若いもんがやらなきゃいかん”そんな風に思って行動している人が、当時の私に後押ししてくれていたのだと思います。SNSで簡単に繋がれる時代の良さもあるのだと思います。

炬口八幡神社ではどのようなできごとがありますか?

夏祭りは湯立て神事が見どころです。経験不足もありまだ拙いですが。恒例だったカラオケの代わりにウクレレ演奏、ヨがなんていうのもありました。それをBGMにスイカ割り。割った後のスイカを切って振る舞っています。笑顔で受け取ってくださるのがうれしいです。最初は”はちゃめちゃ”で何をしているのかよく分からないという声もありました。
秋祭は子ども向け。スーパーボール、ヨーヨー釣り、綿菓子を町内の方々に手伝っていただき楽しんでいます。
最近では漁業組合の方がご好意でメダカすくいを出店してくれています。
お正月はご希望の方にご家族様のお燈明(ご祈祷)をあげております。破魔矢などの縁起ものをお下がりでお渡ししています。
お正月に“竹あかり”を始めたのはお参りに来ていただいている皆さんに少しでも楽しんでいただけたらという思いと、多分『みんなの想火』だったんだと思いますが、人が集まるのだと思ったからです。
放置竹問題とか色々重なるところもあったりして。でも単純に竹あかりをすれば人が集まると思ったから、かな。
実はこの竹あかり、毎年大変で辞めようと思いながらも続いています。今年はSNSで竹あかり名人に出会い、八幡神社裏に擁壁を作るために伐採した竹をたくさんいただけたからです。

現在の炬口について思うこと、そして今後どのように活動されたいですか?

神社を通して触れ合った人たちは本当に皆さん優しい方々です。こちらはお願いするばかりで申し訳無いのですが。せっかく立ち寄っていただいたのだから楽しい思い出を持ち帰ってもらえるようにこれからも努めていきたいです。

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